外国人介護福祉士

トップページ >> 外国人介護福祉士

EPA(経済連携協定)とは

二国間又は多国間において、幅広い分野での連携・協力を促進し、親密な関係強化を目指す条約をさします。
本法人では、この制度の下、フィリピン人介護福祉士2名を受け入れています。

受け入れまで

受入れの要件として、常勤介護職員の4割以上が介護福祉士であること、候補者の学習環境の整備、日本語学習の支援、日本人と同等額以上の報酬、宿泊施設の確保等があり、それらをクリアした施設が「受入れ施設」となり、さらに、候補者、施設とのマッチングにより受入れが決定します。

介護福祉士国家試験の合格率

介護福祉士試験の合格率は、全国平均で、50~60%ほどですが、
本法人受入れのEPA介護福祉士候補者は2名とも、1回目の試験で見事合格を果たしています。

介護福祉士国家試験の合格率

EPA介護福祉士のご紹介

エミリさん

Emily Vonn Landocan(エミリーヴォンランドカン)
2013年入社

フィリピン北のベンゲット州の出身
バギオ市のセイントルイス看護大学(Saint Louis University-Baguio)卒業
バギオ病院(Baguio General Hospital)でボランティアとして看護師をしました。韓国英語学校で英語の先生もしました。
そして、2年間、敦賀短期大学で留学し、介護のアルバイトをしました。
映画、カラオケ、旅行が好きです。暇な時間で時々ギターを弾き、絵を描きます。
料理作るのが苦手です。日本料理、焼肉や寿司が好きです。

私はフィリピンで看護師をしていましたが、なかなか仕事が見つかりませんでした。
そこでバギオ基金ロータリークラブのご支援で日本に留学し、介護のアルバイトをしました。 

留学する前に、フィリピンで日本語のレッスンを受けましたが、方言や尊敬語に慣れず、分からない日本語がまだまだたくさんありました。 
働き始めた頃も、日本語があまり理解できず、失敗したことや患者さんに怒られてしまったこと等、辛い経験があり、私は「馬鹿だな。」という気持ちになってしまいました。言いたいことが上手く伝えられなく、つい黙ってしまうこともあり、本当に辛かったです。しかし一方で、先生や周りの方々からの応援を受け、みなさんの優しさを感じました。そのお陰で頑張ることが出来ました。段々日本語が上手く話せるようになり、仕事先の入居者のみなさんと楽しく会話もできるようになり、友達もたくさん出来ました。 日本の生活が充実してきて、卒業後ももっと日本で生活したいと思うようになりました。そしてEPAの介護福祉士候補者として敦賀市の第2渓山荘ぽっぽ特別養護老人ホームという施設で働くことになりました。 
フィリピンでは、高齢者は施設に入ることがあまりなく、認知症の患者も少ないです。日本の場合は、寿命が100歳ぐらいまでと長いけれども、認知症など色々な病気になったり、一人住まいや家族の世話になることが難しかったりする為、施設に入ることになります。しかし、ご家族がなかなか面会にこられず「悲しいな。」と感じました。

介護の仕事を通して、施設の高齢者の方々に安全で、安心でき、心地よく、楽しく過ごしていただく為にはどうすれば良いか色々学ぶことが出来ました。介護の仕事はすごく大変ですが、良い仕事だと思いますし、喜びもあります。特に嬉しく感じたことは、長く担当していた階で入居者さんのご家族に「いつも笑顔でお母さんに優しくしてくれるから、本当に安心するよ。」と言われたことです。 私が担当していた階から他の階に移動された時、プレゼントを頂きました。 その方は悲しそうでしたが、感謝の印だと言われました。また他の入居者さんはアルツハイマー型認知症なのですが、私のことは覚えていらして、会いに行くとすごく喜んでくださいます。このように入居者さんの笑顔を拝見できたり、「ありがとう。」といつも言ってくださったりすると私は嬉しくなり、もっと頑張りたいと思います。
また、介護福祉士の国家試験に向けての勉強は、プレッシャーをすごく感じましたが、休みが中々取れませんでした。しかし、間違った日本語を直してくださったり、毎日日本語で日記を書くようにアドバイスをくださったり、模擬試験や研修に参加させて頂いたりと、皆さまのお陰で去年、介護福祉士の国家試験に合格出来ました。本当にホッとしました。

介護福祉士になってからは、新しい事への挑戦の毎日であり、また責任感ももっと感じています。例えば、一人夜勤をしたり行事の担当になったり、委員会に参加したりするようになりました。以前より忙しくなりましたが、頑張りたいと思います。
すでに日本で長い間働いています。年に1回はフィリピンに帰ることが出来ますが、長くいられません。クリスマスやお正月や家族の誕生日、家族が病気になった時にも、なかなか帰れず悲しいですが、仕方がないことです。家族のため、将来のため、仕事をもっと頑張っていきたいと思います。